2009年07月30日

ヤコブの押しの一手4

【真剣な人生】

故郷に帰ることは、ヤコブにとっては甘い事ではありませんでした。それは、彼をうらみ殺そうと決心していた兄のエサウがいるからです。しかし、彼は恐れつつも出発します。

兄との出会いに対する恐怖は、打ち消してもなくなりません。彼は、自分の失敗をどうしたら赦してもらえるか、必死になります。
ここでも、彼の本性が頭をもたげて、彼はさまざまの手段を使います。それは、贈り物で相手の気持ちをやわらげることでした。彼は、自分の一族郎党、家族、財産を二手に分けて、妻子や自分は、一番後から行くようにして、兄が攻撃をしかけてきた時に、自分と妻子だけは逃げれるような方法を考えるのです。
そうして、全てのものを先にやってから後、彼はヤボクの川にさしかかったとき、不安にかられて、一人で神に祈るのです。その夜、彼は、祈りの中で神の使いに出会い、一晩中、心の中の不安と恐怖を取り除くために神に祈りつづけます。それは、正しく祈りの戦いだったのです。
こうした祈りは、多くのクリスチャンが実際に経験するもので、あるものは断食で、あるものは徹夜で祈るのです。夜が明けようとする頃、その場を去ろうとする神の使いを、彼は放そうとしません。彼は確信と祝福を手にしない限り放せないし、祈りをやめられなかったのです。
執拗なヤコブに根負けした神の使いは、ヤコブのももの関節を打ちます。ヤコブは足の関節がはずれてしまいます。しかし、そこまであきらめずに祝福を求めるヤコブに神が祝福として与えたのが、イスラエルという名前だったのです。今までのヤコブ=押しのける者という名が、イスラエル=神の皇太子という名に変名されるのです。ヤコブの死んでも神の使いを放すまいとする熱心な祈祷、ももの関節がはずされても神の手を離すまいとする神に対する熱心な祈りによって、彼の性格は変えられてしまいました。それは、名前が変わるほどのものだったのです。

あれほど自己中心で、欲張りで、策略をめぐらす男が、神中心の人間に変えられるのです。もう、彼は、神以外の何ものも恐れなくなっていました。彼は、まず、兄に対する悔い改めの気持ちを誠実に示しました。すると兄は、両腕を広げて彼を受け入れてくれたのです。二人の再会の涙は、すべての恨みを流し、喜びに変えられてのでした。こうしてヤコブは、故郷に錦を飾る事ができたのです。真実な神との出会いを持たずに、人生の成功はありえないということを、信じたいものです。

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2009年07月17日

ヤコブの押しの一手3

【神との出会い】

人生には、本人の知らない罠が仕掛けられていることがしばしばあることに、だれでも気づいているはずです。それは確かに、人間の幸福と成功を妬むサタンの仕業に違いありません。
とくにヤコブのように、あらゆる障害を排除してでも、自らの成功を勝ち取ろうと決意するものには、その反抗の勢力は強くなるものです。

長子の権利をエサウから譲り受けたことを、父のイサクは知るよしもありません。やがてイサクは死期が近いのを悟って、エサウに長子の権利を譲るため、祝福の祈りの準備をエサウに頼むのです。
しかし、そのとき、母親の入れ知恵によって、ヤコブはエサウになりすまして目の見えなくなっている父をだまし、まんまと長子の権利と祝福を奪ってしまうのです。
この事実をしって、エサウは泣いて悔しがりますが、後の祭りでした。エサウは長子の権利を奪い返すには、ヤコブを殺す以外にないと決意するのです。
エサウの決意を知ったヤコブは、せっかく手に入れた財産も地位もすべてを捨てて、故郷から母の郷里の叔父ラバンを頼って逃げ出す始末になります。

家を出て一人寂しく野宿して石を枕に寝ると、ヤコブは、きっといままでの人生を深く反省した事でしょう。しかし、この夜、神は夢の中でヤコブに現われるのです。それは、天の使いが地上と天を結ぶはしごをのぼりおりする夢でした。そこで、彼は先祖のアブラハム、イサクと語り続けてこられた神の約束の言葉を聞くのでした。
そのとき、彼は自分が孤独でない事に気づくのです。いままで、信仰などまったくなく、この世のものばかりに目を奪われていた自分、損得の計算だけに支配されていた醜い自分、そして、その結果が生み出してきた、多くの争いと悲劇に気づくのです。

しかし、この危機に直面して彼は、いま、神とであった自分にきづくのです。生まれて初めて、ともにいて働いてくださる神に気づくのです。彼は、「ここは神の家だ、天の門だ」と叫ぶのです。彼はこの地をベテルと名付けましたが、これが彼の人生の一大転機となったのです。
これは、彼の信仰のスタートだったのでしょう。この信仰の経験、つまり一大転機は成功者に不可欠なものなのです。

さて、多くの人々は、信仰をもつと何もかもが一変してしまって、その後は順調そのものの状況になると錯覚していますが、人生は、それほど甘いものではありません。
ヤコブは、神との出会いの後も、まだまだ自分の知恵に頼る生き方から抜け出せないのです。叔父のラバンの所に寄留するのですが、そこでも策略を用いて自分の財を築いたりします。

しかし、愛する妻のラケルを迎えるにあたっては、だますことが得意のヤコブが反対にだまされて、好きでもない姉のレアを押しつけられ、愛するラケルと結ばれるまでには、14年間も叔父のためにただ働きをしなければならない羽目に陥るのです。
それにラバンの子どもたちとの間にもいざこざが生じたりして、苦難はヤコブから無縁のものになかなかならないのです。
そうした生活の中で、ヤコブは再び、自分の故郷に帰れ、との神の声を聞くのです。
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2009年06月27日

ヤコブの押しの一手2

【人生の中の優先順位】

人生の歩みの中で、人が何を拾って歩くかは、その人の生涯を創造する重大な要素なのです。

ヤコブは、子どものころから長子の特権というものの価値を認識していました。それは父親が死なないと力を発揮することはありませんし、子どもの時にはまったく意味のないものですが、彼はこの見えないものの価値を知っていたのです。

あるとき、チャンスが訪れました。ヤコブが母の手伝いをして豆を煮ているとき、兄のエサウは野山を走り回り、くたくたになって帰ってきたのでした。そして、腹をへらしていたエサウは、ヤコブに豆のあつものを食べさせてくれとせがみます。

ヤコブはさりげなく、長子の権利をゆずってくれるのなら食べさせてやる、と取引を申し出るのです。エサウにとっては、まだまだ両親が健在であり、長子の権利の事などは考えてみる余裕もなかったのです。いま、腹のへっている自分にとって、そんなことよりも、一杯の豆のほうがもっと大事だったのです。ただ食べたいだけの事だったのです。

これを、他人事として笑うことはできません。私たちは、すべてのことについて霊的なものより肉体的なもの、見えないものよりも見えるものに、心を引かれてしまうのです。

もし、聖書の中から成功の秘訣を見つけ出すとするならば、この目に見えない霊的なものに気付く事が一番大切なのです。

目に見えない霊的な真理をおろそかにすることによって、多くの人が、知らずして成功のカギを紛失しているのです。

とくに最近の社会の風潮は、このことを明確に証明しています。わずかばかりの金銭の授受のために、大臣や首相の職を失ったり、社会的な立場を失う人があまりにも多すぎるようです。


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2009年06月20日

ヤコブの押しの一手1

【社会での不公平】

ヤコブを学びながら、私は限りない興味をこの人に抱くのです。人をだます男が真実な人へと変化していくその過程が、そのまま成功物語になっているからです。
ヤコブの人間としての性格の悪さを問題にする事は容易なことですが、人間の社会の中には、しばしば不公平と見られる状況が存在する事を避ける事は出来ません。

ヤコブは、双子の弟して生まれたのでした。それは、欲しいものが多くあるのに、彼には生まれつきさまざまの制約があったということでした。

しかも、それは彼にとっては変えようのないものでした。
彼は、どちらかというと気が弱くて、母親にまとわりつくタイプの子どもでした。それにくらべて、兄のエサウは快活で、野性的で父に愛されていました。
それよりも決定的な事は、双子の弟としてヤコブが生まれてしまったことであって、その時代、兄には長子としてのすべての特権が生まれつき与えられていたということです。父の財産も、名誉も、権力も、兄エサウには黙ってついてくる約束になっているのです。
このことは、ヤコブが成長するにしたがって心の負担になり、表現し難い嫉妬の種となったことは想像できる事です。

ヤコブは、神を信じていました。しかし、ほんの一瞬の誕生の差が、自分の運命を決定してしまうことは、彼には納得のできにくいことであったのです。
しかも、その価値を自覚せずに無頓着に生きているエサウが相続者であり、欲しいと心から願っているヤコブには与えられないと知ると、ヤコブにしてみれば、自分の知恵を絞り出してでも、策略を用いる以外には方法がなかっただろうと同情したくなるのです。

策略を用いてでも、と考えたヤコブにくらべると、あまりにも多くの現代人は、人生の戦いを始める以前に戦いを放棄していると考えるべきでしょう。現代でも、ヤコブに似た条件はいくらでも私たちの周囲に発見できます。
すなわち、男女の差別、出身校の差別、さらに金持ちに生まれるか、貧乏人に生まれるか−など、そのことで神は不公平である、と愚痴を言う人もいるほどです。

人間の社会では、それらの条件が明らかに人の生涯を左右し、それが当然のこととして受けとめられ、ただ金満家に生まれたばかりに社長となって、それを自分の力だと思い上がっている人もいるし、反対に、自分の不幸を恵まれない環境の責任にして、自分の努力を放棄している人々もいます。

しかし、ヤコブ物語の偉大さは、神の世界ではまったく違った展開になることを示しているのです。
それは、人間の差別、資格などは全く関係なく、神はご自身をさがし求めるものを祝福されるということであって、神は彼に顔を向けるものを突き放されないということなのです。

それは、決して、ヤコブの悪い性格、欠点をそのまま受け入れるということではなく、ヤコブの人生のさまざまな試練、訓練を通して、神は彼を時間をかけて作り変えられて、最終的には、祝福に導いてくださるということなのです。
ヤコブの成功物語は、双子の兄エサウとの対決の中から見ると明確になるので、ここではそのことを記憶の中に入れて話を進めましょう。

タグ:策略 不公平
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2009年05月07日

夢見るヨセフの成功哲学6

【神の摂理―幻の成就】

彼の夢の解き明かしの通り、豊作の後の激しい飢饉のため、エジプトをはじめ、その周辺の国々も餓死寸前に追い込まれるのです。
ヨセフの故郷、カナンの地も、同様でした。父の命令で、ヨセフの10人の兄弟たちも諸国民に交じってエジプトに食糧を買いに行く事になりました。
もちろん、兄弟たちは、いまをときめく、ツァフェナテ・パネアハというエジプトの名宰相が自分たちの弟ヨセフであるとは夢にも思っていませんでした。
一方、自分の前に食糧を求めて、いま、ぬかづいている者達が、10人の兄たちであることにヨセフはすぐ気付きました。ヨセフは、すぐには自分の事を打ち明けず、父や弟ベニヤミンの安否をたずね、彼らの心を知ろうとします。
やがて、兄たちがかつて自分に対してなした行為を悔い、恥じている事を死って、男泣きに泣いて自分の身分を明らかにしたのです。
全ての事情をのみこんだ兄弟たちは非常に恐れました。
しかし、ヨセフは「私はあなたがたがエジプトに売った弟ヨセフです。私をここに売ったのを嘆くことも、悔やむ事もいりません。神は命を救うために、あなたがたより先に私をつかわされたのです。…神はあなたがたのすえを地に残すため、また大いなる救いをもってあなたがたの命を助けるために私をあなたがたよりさきにつかわされたのです。それゆえ、私をここにつかわしたのはあなたがたではなく神です」というのでした。(創世記45:2〜8参照)
ここに、ヨセフの強い信仰と、人間性の豊かさ、心の広さが伝わってきます。
また、ヨセフは「あなたがたは私に対して悪をたくらんだが、神はそれを予期に変らせて、今日のように多くの民の命を救おうと計られました」とも語っています。
やがて、父ヤコブとその一族はエジプトに下り、ヨセフの父であり、兄弟であるというので大歓迎を受けます。ヤコブは、死んだと思っていた愛する息子に愛、その孫を抱き、泣いて喜びます。
ヤコブは愛する息子寄席譜に看取られて、この世を去り、ヨセフは最後まで兄弟たちの世話をし、彼自身はエジプトの地で死んでいきます。
このことは、ヨセフが青年の時に見た夢のそのままの実現でした。
このヨセフ物語は、一つの人生の成功物語の立派なサンプルとなります。
自分に与えられた夢を最後まで信じつづける人間の強さ、それが信仰に立脚しているだけに恐ろしいほどの信念となって、その人を支えるものなのです。
何回も何回も逆境と試練の中に落とされながらも、なお、神の導きと守りを信じとおす心の偉大さを思うのです。それでいて、それらを仕組んだ人々に対して怒りや苦い思いで対決することなく、神と人に誠実でありつづける姿には、頭の下がる思いがします。
「正しい者の悩みは多い。しかし、主はその全てから彼を救い出される。主は、彼の骨をことごとく守り、その一つさえ、砕かれることはない」(詩篇34:19〜20)
逆境、苦難は、人の成功に何の妨げにもならないのです。その人が、自分の心に与えられた人生の夢に、潔い情熱を燃やし、神の信仰に支えられる使命感に生き抜き、心をいつも善意と積極的思考で明るくしつづけるならば、成功は必ず訪れるのです。
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2009年04月21日

夢見るヨセフの成功哲学5

【成功で飾る】

ヨセフは、夢を解き明かすと共に、おってくる危機に対する実際的提言をするのです。
すなわち、さとく、かつ賢い人を食糧の管理者としておく事、および七年の豊作の時に七年の飢饉の時の備えをしてたくわえをすることです。
パロは、この提案をよろこび、エジプト内の穀倉をヨセフにあずけ、彼を王に次ぐ地位にまであげたのです。

実に、兄弟たちの妬みを受けて、17歳のとき奴隷に売られたヨセフは、30歳でエジプトの総理大臣の地位についたのでした。
そして、パロは、ヨセフにツァフェナテ・パネアハという名を与え、オンの祭司ポティ・フェラの娘アセナテを彼の妻にしたのです。
長年の試練と苦難とは、成功で飾られたのです。

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2009年04月13日

夢見るヨセフの成功哲学4

【再び夢の解き明かし】

約束を守らぬ人間のいい加減さに失望を禁じえないヨセフの二年間は、実は彼に再び夢の解き明かしの機会をもたらしたのです。
エジプトのパロ王は、二つの不思議な夢を見るのです。それは、彼に仕える知者にも理解できないものでした。
一つの夢では、七頭のやせ細った雄牛が七頭の美しい肥え太った雄牛を食いつくし、もう一つの夢では、しおれた穂が七つのふとって実った穂をのみつくすのです。
王は目ざめて、心がさわぎ、この夢の解釈を求めますが、誰にも解けないのです。
このとき、給仕の長は、二年前に自分の夢を解き明かしてくれた獄中のヘブルの若者を思い出すのです。
彼は、早速、呼び出されるのです。彼は、神がそれを告げてくれると語るのです。
彼は、その夢を「パロの夢は一つです。神がこれからしようとすることをパロに示されたのです。エジプトに七年の大豊作があり、あと七年の飢饉が続くでしょう。そして二度、かさねて夢を見たことは、このことが神によって定められ、神がすみやかにこれをされるから」であると解き明かしました。(創世記41:25〜32参照)

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2009年04月03日

夢見るヨセフの成功哲学3

【夢の解き明かし】

ヨセフが獄屋に投げ入れられた後、エジプト王の給仕役と料理役が罪を犯して収監されてくるのです。
ある夜、給仕役と料理役のふたりが、それぞれ意味のある夢を見るのです。
ヨセフは、彼らの夢の説明を聞き、それによって彼らの運命を告げるのです。
そして、ヨセフの解き明かしの通り、ひとりはもとの仕事に戻り、ひとりは死刑になるのです。
助かった給仕役は、ヨセフの無実をパロ王に告げる約束をしながら、自分が助かってしまうと、世話になったヨセフのことをすっかり忘れてしまうのです。
世の人情とは、このようにいい加減なものです。そして、そのまま獄中の2年間が過ぎてしまいます。しかし、これがやがてヨセフにとって幸いになります。

タグ: 運命
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2009年03月27日

夢見るヨセフの成功哲学A

【変転の人生】

兄たちの性格は、このように残酷で策略に満ちたものであることがわかりますが、創世記にはヨセフは素直な若者で、兄弟たちとも張り合うことも無く、姿も精神も、優れた人であったと記されていますし、どんな人に対しても悪を計る事のない人として描かれています。

しかし、この世では、この純真さ、心の美しさが仇になることもあります。
このために彼は、次々と災難の中に巻き込まれていくのです。
エジプトに奴隷として売られたヨセフは、エジプトの役人に仕える事になります。
このような運命の変転の中で、ヨセフは少しも兄弟たちを恨む事もせず、誠実に主人に仕え、主人の絶大な信頼を得るようになります。

ところが、彼の純真さと美しさが仇となって、主人の妻から強い誘惑を受けるのです。
しかし、厳しくそれを退けたために、反対に主人の妻から、彼が誘惑したとの濡れ衣を着せられて投獄されてしまいます。

彼は、自分の見た夢とはまったく違った運命に動かされるのを知っていながら、そのように自分を陥れた主人夫婦を恨まずひたすら神を信じて、その誠実さを獄中でも示して人々から信頼を得るのです。
彼にとっては、逆境は自分を磨く絶好の場であったのです。いつの間にか、囚人の彼は、獄屋番の信頼を得て、獄屋番の代わりをつとめるまでになっていたのです。

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2009年03月06日

夢見るヨセフの成功哲学@

【夢見る青年】

ヨセフ物語は、聖書の中でも、際立ってい輝いている者です。これは、神から与えられた夢をひたすら信じつづけ、変転の人生を切り抜けて大成功を手にした青年の物語りです。

ヨセフは、父ヤコブの年取ってからの息子で、12人の息子の11番目に生まれました。
父ヤコブは、ヨセフを愛して特別の着物を着せて、いつも自分の側においておきました。
そのために、他の異母兄弟たちの妬みをかうことになったのです。こういうことは、世間でもよくあることです。
ヨセフは、非常に感度の鋭い青年であって、夢を見たり、幻を解いたりしたのです。
彼は、その見た夢を兄弟たちに語ることから、人生は波乱万丈の波の中に巻き込まれることになるのです。

彼の見た夢は、ヨセフとその兄弟たちとが畑の中で束をゆわえていると、ヨセフの束が起きてほかの束の上に立ち、ほかの兄弟たちの束は彼の束に従い拝むというもので、もう一つの夢では、日と月と11との星とがヨセフを拝むというものでした。
これらの夢は、特に説明しなくても、彼の兄弟たちにはまったく明白です。

父の寵愛を受けているヨセフの事ですから、彼が将来一族の長におさまることは、ありえない話ではありません。兄弟たちは、憤激します。そして、彼らは、この生意気な弟に対する対策を練るわけです。
ある時、父やコブは、シケムの近くで父の羊の群れを飼っている兄たちの安否を問うために、ヨセフを使いに出すのです。

彼らははるかかなたにヨセフを見つけると、彼を殺そうと計画するのです。
「あの夢見るものがやって来る」と彼らはいい、「さあ、彼を殺して穴に投げ入れて、悪い獣が彼を食い殺したと言おう。そして、彼の夢がどうなるか見よう」と凶悪な殺人を企てるのです。彼らは、ヨセフの夢の実現を恐れていたのです。彼の夢の実現を妨げる最良の方法は、彼を殺してしまう事だと考えたのです。

その実行のときになって、最年長の分別のある兄ルベンは、彼のため、命乞いをし、ヨセフは九死に一生を得ます。しかし、彼らはヨセフの着物を剥ぎ取り、水の無い穴に彼を投げ込んでしまうのです。
そして、たまたま通りかかったイシュマエル人の商人に、銀貨20枚で奴隷として売り飛ばしてしまうのです。そして、ヨセフの着物を羊の血で汚して、父ヤコブには、彼が悪い獣に食われて死んだと報告するのです。

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2009年02月21日

サムエルの燃える使命感C

【神に聞け】

サムエル自らがイスラエル王国の王として選んだサウルは、やがて優れた政治家として成長し、遂に民族統一を果たして王国を確立するのです。
しかし、王となったサウルは、高慢になり、傲慢になってゆくのです。
王サウルの精神的動揺に連動するかのように、サムエルの心も大きく動き、彼は苛立ちと悲しみを感じるようになるのです。

イスラエルの王を自らが選んだ責任を痛感するサムエルは、新しい王をさがすために腐心するのです。
彼は、ベツレヘムに神に導かれて出かけていき、エッサイの息子たちに出会って、新しい王となるべき候補者をその中に求めるのです。

エッサイには八人もの息子がいましたが、いずれ劣らぬ立派な青年たちでした。
感覚的に人の表面だけに目を奪われていたサムエルは、その中の一人、エリアブを見たとき「確かに、主の前で油を注がれるものだ」と思ったのです。その瞬間、彼に神の声が聞こえてきたのです。
「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る」(第1サムエル16:7)

それは、サムエルの若い日、彼の耳にとどいたのと同じ神の声でした。
彼は、この神の声に目の覚めた思いで、野原で父エッサイの羊の世話をしていた末の息子ダビデを選ぶように導かれるのです。
それは、彼の魂の中に響く神の声に素直に応答する信仰が健全であった事を証明するものです。
ここに、スケールの大きな使命感と、それを与えてくれた天の声に忠実なものがたどるべき成功人生の縮図があります。

一人の成功者の人生に、すべての幸運が味方したと考えるのは間違いです。
サムエルも、自らが選んだイスラエルの王サウルに手を焼き、さんざん悩まされているのです。
サムエルは、王サウルに大して、彼の失脚を宣言しなければならない苦しい立場をも経験するのです。
自らが選んだ王に、自らがその失脚を宣言しなければならないのは、自らの失敗を認めるに等しい事です。

しかし、天の声に忠実なサムエルは、鉄の意志をもってそれを通しぬくのです。
イスラエルとアマレクの戦いのとき、王サウルは、預言者サムエルを通して語られた神の命令に背いて自分勝手なことをするのです。
サムエルは、「あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた」と宣言します。
王サウルは驚いて、サムエルの上着の裾をつかんで、それが裂けるほど引き止めて許しを乞いますが、サムエルはことばを変えることがなかったのです。

今日の混沌とした社会の中にあって、私たちの考えを狂わそうとして氾濫する情報の渦の中で、私たちの人生目標も方向を見誤る可能性がいくらでもあります。
この中で、自分に与えられた使命のために天よりの声をはっきりと聞けるものを、社会と国家は必要としているのではないか、と思うのです。
使命感に燃えつつ、神の声に聞き従う者には、偉大な成功の道が開けているのです。

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2009年01月24日

サムエルの燃える使命感B

【積み重ねの成果】

サムエルはイスラエルの宗教界の指導者として人々の尊敬を集めるようになりますが、当時それは、同時に政治的社会的指導者でもあったのです。サムエルは、イスラエルの歴史の中であらわれてくる数多くのすぐれた預言者たちの中で、決してずばぬけていた存在ではありません。しかし、彼は自分の人生での責任を一つひとつ忠実に成功させていくタイプであったのです。

その当時、イスラエル人とペリシテ人との戦いが激化して、イスラエルは敗戦の色が濃くなって来るのです。逆にイスラエル民族にとって、民族の生命ともいうべき、主の契約の箱といわれるモーセの十戒を入れてある箱が、敵軍の手に渡るという悲しむべき状況になってしまいました。

こんなとき、老師エリが死に、代わってサムエルが指導者になったのです。自らの手で獲得した指導者の立場ではなくて、嗣業として指導者の権利を手にしたサムエルが、どのようにして驚くべき影響力をもつようになったかは明らかではありません。ですが、考えられることは、若い日に、老師エリのところで、夜中に呼びかける声に、飛び起きて「はい、ここにおります」とエリのもとに走った素直さと純真さ。また、老師に対する細かい配慮、鋭い判断力。それらに加えて、神への絶対的信頼、燃える信仰にもとづいた勇気は、来るべき出来事を予期して悟る預言者というより、直面する現実を見つめ、神のことばを自分へのことばとして悟り、警告する事をむしろ本質として活躍したのです。

こうしたサムエルであればこそ、多くの問題を抱えたイスラエルを統合するために、サウルを発見して王とし、王国を形成するに到らせる陰の力となりえたのです。
サムエルの指導者としての手腕は、彼の信念を語る勇気によって遺憾なく発揮されていると思われるのです。

周囲がどのような雑音を立てても、迷うことなく一人の王を選び出していくということの重大な責任は、凡人にできることではありません。しかし、サムエルはこのことを、彼の中に与えられていた信仰にもとづく信念によってやり通した事は、容易にうなずける事なのです。

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2009年01月13日

サムエルの燃える使命感A

【使命感を受けた人生】

サムエルの人生で特筆すべき出来事は、幕屋で老祭司エリと寝起きをともにしていたとき、ある夜、「サムエル、サムエル」と呼びかける声を聞いて飛び起き、老師エリの安否を気遣って彼のもとに走ったことです。
このとき、3回も同じことがあり、その都度、少年サムエルは理屈抜きで飛び起きて、老師エリの寝床に走ったのです。それは、老師エリに対する忠実でありたいという気持ちと老体を気づかう少年の純粋な気持ちのあらわれでしょう。
老師エリは、3回目の時、それは神が少年サムエルを呼んでいるのだと気づいて、サムエルに、次に声を聞いたら神にお答えするように教えるのですやがて、神が「サムエル、サムエル」と呼びかけられたとき、サムエルは「お話ください。しもべは聞いております」と答えた事は有名な話です。
こうして、彼は神の預言者となる命令を神から受けるのです。人生において、自分の個人的な欲望のレベルを超えた一つの使命感を心の中にもつことのできた人は、成功を約束されているといえるでしょう。
使命感を持たない人生は、往々にして人間の持つ本能的欲望の充足だけに終わる危険性が高いといえるでしょう。
そして、その使命感は、厳しい自己訓練の中で生まれてくるものであって、自己中心的な生活の中からは決して生まれないものであることは、肝に銘じておくべきなのです。
サムエルに与えられた神からの使命感は、彼が幕屋に幼少からあずけられて、老師エリに忠実に服従していた生活と無関係ではありません。
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2008年12月11日

サムエルの燃える使命感@

【強固な目標設定】

預言者サムエルが出現したのは、イスラエルの歴史の中で、いわゆる士師(さばきつかさ)と呼ばれた人々の時代の末期でした。サムエルは、部族の集合体に過ぎなかったイスラエルに王国をもたらした中心人物でした。一人の人間の誕生は、決して降ってわいてきたようなものではありません。そこには、歴史的、人間的なさまざまな要素が介入してくるのです。

サムエルの誕生は、まさしく、一人の女性の強烈な思いの中に目標設定されていたといっても過言ではありません。サムエルの父エルカナには2人の妻があって、ひとりの妻の名をハンナといい、もうひとりの妻の名はペニンナといいました。ペニンナには子どもがありましたが、ハンナには子どもがなかったのです。エルカナはハンナを愛していましたが、子どもに恵まれなかったのです。

2人の妻が同居していれば、そこに人間的な醜い心の葛藤があるのは当然のことであって、二人の女の心の中には燃え上がる嫉妬の炎が渦巻いていたのです。ハンナを憎むペニンナは、ハンナが子どものできない事を気にしているのに、いよいよハンナのいら立つようなしぐさをしたと聖書は語っています。

今日の学問的研究によると、子どもが母の胎内に宿った時から、その親の生活の全ての状況は生まれてくる子どもに、様々な影響を与える事が証明されています。無責任な立場の中から産み落とされた子どもは、多くの不幸を背負っているといえるでしょう。その反対に、明確な目標意識の中で、期待されて世に生まれてくる子どもたちは幸福であると言うべきでしょう。

ハンナは、女性としてどうしても子どもを産みたいとの願いを消す事が出来なかったのでした。彼女は、神に誓願を立てたのです。これは強烈な目標を掲げて神に訴えることを意味しますが、聖書によると彼女は主に祈って激しく泣いたとあります。
「万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を主におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません」(第1サムエル1:11)

この彼女の祈りの中には、彼女の目標が実に明確に語られているのです。彼女は、男の子を与えられたいと切望したのです。そして、その子どもは、神に捧げられるものであって、神のために奉仕するものなのです。そして、その子の頭に、かみそりを当てないと祈っているのは、ナジル人の誓願と呼ばれるもので、自発的な誓願によって、自らを特別な状況においたナジル人がいたところから、神への聖別、献身の具体的なしるしとして、ぶどう酒と濃い酒を断つこと、聖別の期間中、髪の毛を切らないこと、そして死体に近づいてはならないことなどが定められていました。

ハンナは、生まれてくる子どもに代わって誓願を立てたのでした。サムエルは、こうした母の強烈な祈りの中の目標設定によってこの世に生まれてきたのでしたそして、母の決断で、幼くして妻子エリのところに預けられたサムエルは、神に仕える修行をはじめたのでした。


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2008年10月22日

ギデオンの劇的な大勝利C

【勝利の条件】

このギデオンの勝利は歴史の中に語り継げられていて、最も弱い氏族の最も小さいものの勝利として、人々を励ましつづけているのです。
現代の社会での著しい科学技術の進歩は、目を見張るものがあります。
経済的にも巨大な産業のシステムの中に、人々はのみこまれてしまいそうになります。
教育界も、レベルアップは限りなくはかられて終わることを知りません。
そうした仕組みの中で、個人個人は無視され、疎外されていると感じられるのです。
しかし、ギデオンは、小さいものの価値、その小さいものの中に秘められた無限の可能性を奮い立たせてくれる物語を展開しているのです。
数をたのみ、量をあてにして、弱者を圧倒しようとたくらんでいる現代社会の中で、小さい個人個人の中に秘められた能力の偉大さに、私達は気づいていくべきではないかと考えるのです。
弱者の勝利ともいうべき、ギデオンの勝利と大成功をまとめてみると、次の通りになると思います。

1. 敗北を容認しない
あまりにも多くの人々が自分の弱さを認めることに寛容でありすぎます。ギデオンも、そのはじめは「ああ主よ、私にどのようにしてイスラエルを救うことができましょう。ご存知のように、私の分団はマナセのうちでも最も弱く、私は父の家で一番若いのです」といっていたのと同じことです。

2. 使命感を手にする
人生での成功の目標は、人生における使命感をつかむことだと断言しても良いほど、これは大切な事です。人生をかけて、持ちつづける使命感はそのまま、遠大な人生目標だと断言して、決して間違っていないのです。
これを確立すると、他の小さな目標の達成は非常に簡単になるという仕組みの不思議に驚かされます。
ギデオンが指導者として仰がれ、後世に名を残す事になったのも、使命感に燃えて行動した事の結果であって、それを目標にしていたら実現できなかった事でしょう。

3. 周囲の状況にまどわされない
数に対しては数で当たるというのが常識であるとすれば、ギデオンが3万人の中から300人を選んで敵と戦う事を計画したのは無謀というものです。
そこには、あらゆる批判と攻撃が味方の陣営から出たことでしょう。
しかし、目標達成のためには、強固な意志が求められるのです。だれがどのように批判しても、やり通す意志は成功者に欠かせないものです。

4. 用意周到な計画と行動力
ギデオンの300人を選んだ方法、そして、敵に奇襲をかけるときの準備の細かい配慮に感心しますが、同時に、300人で10万人の中に突入していく行動力の強さにも驚きます。
新しい時代に向かって、私たちは、成功は最も小さい者に備えられたものであることと、数を頼まない少数者の価値を再確認したいものです。ここまでくると、成功は目前です。

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2008年10月15日

ギデオンの劇的な大勝利B

【300人の義勇兵】

ギデオンは、角笛を吹き鳴らしてこの国の危機を救うための義勇兵を募集するのです。このとき、急を聞き、ギデオンのもとにはせ参じたイスラエル人は3万2000人もいたといわれているのです。ギデオンは、その数の多いことを喜んだのではなく、激しい戦いを予想していただけに、これでは多すぎると思うのです。
すなわち、少しでも恐れる心を持つ者がいれば敗れると考えるわけです。
彼が、恐れ、おののくものは帰れ、と命じると、2万2000人が戦列を離れてしまったのです。
彼のこの点での判断は、正しかったというべきでしょう。
なぜならば、恐れ、おののきは、ことを成就するときの最大の妨げとなるからです。
何事においても、それをやり遂げるためには、あらゆる妨害をも押しのけて前進するための勇気と確信が要求されるからです。
信仰を持って神の知恵を求めていたギデオンにとっては、それでもまだ多すぎると思われるのです。
彼は、神の知恵をいただいて、さらに精鋭を選ぶべく、彼らを水ぎわに下がらせて水を飲ませたのです。
このときの水の飲み方で、人選をしようという訳です。
その時、寸時の油断もなく、口に手を当て、水をなめたもの300人を選んだのです。
残りのものは、犬がなめるようにしたり、ひざをついて水を飲んだのでした。
これは、水を飲むときにも、敵をうかがい、用意周到にしなければ、不意打ちにあってしまう危険があるからです。
このことは、目標を立てたとき、一瞬たりとも、それから目を離してはならないことを教えているのです。
成功者というものは、何をしていても、自分の目標を見失うことはありません。自分の意識の中に四六時中それは存在していて、目標実現の機会をうかがっているのです。
1万人の中から、わずか300人しか、このテストに合格しなかったことを思うと、いかに人生においても敵(反対、困難、批判など)につけねらわれる隙が多いかを知らされます。
この手兵300人をひきいて、ギデオンは夜襲を計画したのです。
敵は10万人をはるかに超えていたといわれているのですが、彼はこの侵略者に立ち向かって行くのです。
ギデオンは、300人ひとりひとりにラッパと壺をもたせて、その壺の中には、たいまつを用意させました。
彼は夜がふけてから、敵の油断に乗じて、山の峰の上に300人を並ばせ、突如、ラッパを吹き鳴らし、壺を砕いて赤々と燃えているたいまつを振り回し、敵陣に突撃を命じたのです。
夜陰に寝込みを教われ、吹き鳴らされる300のラッパの音、目をさますと、燃える300のたいまつを見て、砂漠の侵略者たちは大群が押し寄せたと錯覚して、大混乱に陥り、武器を捨てて撤退してしまうのです。
こうしてわずか300人のギデオンの精兵は、大勝利を収めて、ミデヤン人を徹底的に撃破したのです。

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2008年09月27日

ギデオンの劇的な大勝利A

【使命を自覚したとき】

私たちは偉大な成功も、そのはじまりは微小なものだという事を知らなければなりません。
ギデオンは、この国の危機のとき、指導者として立ち上がりましたが、彼は決して戦略に長けた歴戦の勇士ではなく、ただ神によって国を救う使命を負わされていると信じていた農村の青年であったのです。
人生において、自分に課せられた使命を自覚した時に、その人の成功がスタートしたといえるのです。ただ、漠然として日々を過ごしている者に、確実な人生の勝利は望めないのです。
使命をもつという事は、人生の貴い目標設定をしたことになるのです。目標設定こそ、人生成功のカギであると言うのは真実です。
燃える使命感ほど、強烈な人生目標は他にありえないのです。人生における成功の度合いは、目標の大小によって左右されるのは当然の事です。
イスラエルを救済する者としてのギデオンのそれからの行動は、驚きを超えたものでした。彼は、まず邪神バアルの祭壇を打ちこわし、イスラエルの人々に対して、異郷の神々を捨て、真の神に立ち返るように迫るのです。
これはイスラエルの人々に霊的な一致を求めるものであり、信念とか確信とかいった、人の内部の見えない力の中でもっとも強力なものは信仰以外にないことを、彼が理解していた事を示しています。おりしも、ミデヤン人とアマレク人との同盟軍が、ヨルダン河を渡って進入してきたのです。

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2008年06月21日

ギデオンの劇的な大勝利@

【一人の農村の若者】

人間のための神からの啓示の書である、聖書の中には、厳しい人生の中を勝利した人々の成功哲学が、ここかしこに星のように輝いて記録されています。
それは、必ずしも有名な人、社会で地位のある人、豊かな人だけを指しているのではありません。ごく平凡な人々が、神を信じて、歴史を動かすものとして用いられているのです。
それらの人々から学ぶ多くの教訓は、今日の私たち成功哲学と称する学問の中から得ているものとまったく共通している事に驚くのです。
まずは具体的に「ギデオンの勝利」を取り上げて学んでみたいと思います。
これは紀元前11世紀の初頭の物語ですが、イスラエル人はカナン(パレスチナ)に進入し、そこに定住し、イスラエルの12部族はヨシュアの定めた契約を中心にして、それから王国成立までの時代を士師(さばきつかさ)の時代と呼ぶことになります。
この時代、イスラエル人は異民族の侵略に苦しみ、たびたびの危機に直面する事になりますが、そのたびごとに、神から特別な賜物を与えられ、地から強い霊力を働かして、イスラエル人には神に背いた罪の悔い改めを迫り、同時に彼らを外的から守り抜いた指導者が起こされたのです。
この中の一人に、ギデオンと呼ばれる青年がいたのです。この士師(さばきつかさ)たちは、イスラエルの人の危機のときの救済者であり、指導者であったのです。


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2008年04月17日

はじめに

聖書の中には、ノアの箱舟、モーセの十戒、ソロモンの栄華などをはじめとして、逆境に打ち勝ち、人生に成功した人々の物語がたくさん載っています。
彼らも最初から立派だったわけではありません。弱虫の人、怒りっぽい人、ずるい人、夢ばっかり見てる人…。彼らの多くは、わたし達と何ら変わらない普通の人だったのです。いったい彼らに何が起こったのでしょうか。
その答えは聖書の中にあります。
あなたも是非聖書が語る、人生の智恵、幸せになるための秘訣、成功の原則を学んでください。
これからのお話の予定を次に書いておきますので、どうぞ楽しみにして下さい。(このブログは故万代恒雄牧師の著書「聖書の中の成功物語」を元に作成されています。)

* 1.ギデオンの劇的な大勝利
* 2.サムエルの燃える使命感
* 3.夢見るヨセフの成功哲学
* 4.歴史を変えたモーセの孤独
* 5.すぐれた後継者ヨシュアの積極人生
* 6.神に祝福されたダビデ王の素直さ
* 7.ヤコブの押しの一手
* 8.ペテロの平凡から非凡への大転換
* 9.パウロの偉人へのプロセス
* 10.“信仰の父”アブラハムの真髄
* 11.祈る女ハンナの勝利
* 12.ヨナタンとダビデの友情の十字架
* 13.預言者ナタンの歴史に残る忠告
* 14.絶望の中から成功を手にしたヨブ
* 15.平凡なイサクが成功した秘訣
* 16.ひねくれ男ヨナの見上げた行い
* 17.人格者の医者ルカの活躍
* 18.城壁の再建に心を燃やしたネヘミヤ
* 19.神への忠誠と信仰をつらぬいたダニエルの成功人生
* 20.死後に成就したエレミヤの預言
* 21.神とともに歩んで箱舟を造ったノア
* 22.神の霊に導かれたピリポの成功の秘訣
* 23.偉大なる大預言者イザヤ
* 24.取税人マタイの一大変化
* 25.再起のチャンスを与えられたマルコ
* 26.“雷の子“から愛の使徒となったヨハネ
* 27.神の霊に満たされた殉教者ステパノの死
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